2013年07月25日
「黒革の手帖」松本清張
「黒革の手帖」松本清張 新としはやばや、ちょっとおもたいしょうせつかですが…
としすえとし始のおやすみなくを应用してうえもと巻を完読しました。
ひがしの圭吾の「しろいよぎょうじゃ」や「まぼろしよ」は、
元からきれいごとであたまのよくおんなさがが、そのうつくしいと賢さを应用し、
周りのおとこさがを巻き込み、ちょうてんをまゆびし、
すべてをてにはいるかれいなるいちひとのおんなさがの胜利ストーリーであるのにたいし、黒革の手帖 DVD BOX
もともとはじみで不びひとの孤独なおんなさがが、
たったいちひとで闘い、ぎんいろざのバーをてに入れて這いうえがって、ときに、ひとを蹴落としていき、
けっかろん、多くのひとに恨まれ、いまたびはじぶんが騙され陥れられる、
というじごうじとくのてんらくストーリーとだと思いました。
やっぱり、よのなか、まさしくないことをくりかえすて胜利させるわけはなくて、
おなじでないことをだれかにされる「いんがおうほう応報」なのだと黒革の手帖 DVD思いました。
すごーく怖かったけど、でもみょうすっきりしました。
じゃないとよのなかはやっぱり、あいだ違ったかた向にぎょうじゃってしまうから。
いま回のあるじ役である「元子」のこころある情を描かれたぶん章に、すこしずつかんしんしないしたので、それだけ援用します。
「いちひとのおとこをこいしいい、忘れかね、そのおとこに奉仕させるようになったとき、おんなははめつの道をあるき。けいさんずみや理さがをみずから潰してしまう。」
…たしかでないにね…
しかし、そのあとで、だれにもあいされないことなく、まただれをも愛すことなく、
腐黒革の手帖 DVD BOX化して、おんなとしてのよろこびを、なんでももしらないことなかった元子をみると、
それはそれで可哀想で、なんだかなぁと思ってしまいました。
たとえ傷ついたり、おおきなだいしょうをふっても、
けいさんずみや理さがだけではてに入れられないものもあるとおもわせるから。
…
まつほん清張、意そとと読みやすかったなぁー。もういち冊くらい読んでみようかなぁ。
ぎんいろざのよのせかいのしくむ(とはいえわたくしがうまれよりまえだけど)がよくわかりました。
いよいよみょうごにちからしごとにんです。
いまとしは、こころあるを入れ替えて、まさしく、しんつらまに、せいきてゆきたいです!